とあるところで
キリコ(ジョルジョ・デ)が話題になっていて、
個人的には“愛憎半ばする”みたいなことを言ったんだけど、
年端がいかない頃は、
例えばダダから伝統詩に戻った
(ような軌跡を辿った)詩人なんかにも、
「なぜ?」と、“降りた”ように思ってたもんなぁ。
“降りてる”とか“降りてない”とか、
今風だと“勝ち組”とか“負け組”とか、
そういう仕分け自体に大した意味はないと。
ある人にとっての必然は、ただそれだけの話で、
それ以上のことでもそれ以下のことでもなく、
そのことは他人には絶対預かり知れないものだし。
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