忙しい
が口癖の人に限って、
別に、それほど意味のあることで、
忙しくしているわけじゃない、とはよく聞かれるが、
では、どこでよく聞かれるのかと聞かれると、
そのどこ?は曖昧であり、
単に、忙しいが口癖の人の、
実は代表的な存在である自分が、
「忙しい忙しい」と言ってる割には、
とりたてて大したことをしてるわけじゃないので、
そう書いたのに過ぎないのだった。
しかしながら、本当のところは、
自他共に認める、いや他は認めるだろうが、
自はできれば認めたくないと思っているそんな、
とりたてて忙しいわけでもない自分が、
では時間を有効に使っているかと聞かれると、
必ずしもそういうわけじゃない、というより、
絶対にそういうわけじゃない。
とすれば、ここからが重要なのだが、
つまり、どっちの場合も意味のある行為に、
つながっているわけじゃないと言うのであれば、
それはやっぱり、ほとんど大したことをしてなくても、
忙しいと言っている方が、見映えがいいような気がする。
よって、
「人生是見映え」。
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