シャビ
といっても、負けたバルサの、ではなく、写真美術館の方。
仕事の合間を縫って“痙攣美”を見物。一応。
一応、なだけあってなのか、
特別に目を見はらされる写真はなかった。
全然関係ない?話だけど、
やはり展示されてた往時の関連雑誌の1部、
デュシャンがデザインしてる表紙に、
「D.A.F.Sade」の名前があったのだけど、
それを見て、「ドナティアン・アルフォンス・フランソワ…」、
とスラスラ出てくる、自分の、
無意味かつ何の役にも立たない記憶案件が、哀しい。
といっても、負けたバルサの、ではなく、写真美術館の方。
仕事の合間を縫って“痙攣美”を見物。一応。
一応、なだけあってなのか、
特別に目を見はらされる写真はなかった。
全然関係ない?話だけど、
やはり展示されてた往時の関連雑誌の1部、
デュシャンがデザインしてる表紙に、
「D.A.F.Sade」の名前があったのだけど、
それを見て、「ドナティアン・アルフォンス・フランソワ…」、
とスラスラ出てくる、自分の、
無意味かつ何の役にも立たない記憶案件が、哀しい。
事務所の女の子が、「英名二十八衆句」の、
載った昔の雑誌を持ってきてくれて、
というのも、自分が芳年のことを言ったことがあり、
その時彼女自身思い当たるフシがあって、
わざわざ家の中を引っかき回して、
探してきてくれたのだけど、そんなことより何でか、
芳年の“大蘇”という号は覚えてるのだけれど、
本名の名字の方(月岡)がどうにも思い出せず、
とても情けない思いをしたのだった。
そしたら今日もさあ、
昔活躍した2文字のGKの名前と言われて、
ディノ・ゾフの名前が出てこねえんだよこれがまた。
とても情けない思いをしたのだったのだった。
まぁゾフは好きだったわけじゃないけどさ別に。
件の雑誌は、別の女の人が、
仕事もしないで、してくれよ、1時間ばかし真剣に見入ってた。
意外に女性の琴線に触れるものがあるのかもしれない。
シーズ・ロスト・コントロール。癲癇の歌。
まぁ、フローベールもドストエフスキーも、
ディックも癲癇だったわけだけど。
さて、
アントン・コービンの写真てのは、よく見てるわけだ。確かに。
ビデオクリップも同様。
で、「コントロール」だ。
もし、自分が若い女の子だったら、
ハマってた可能性はある。
モノクロの画面は常にフォトジェニックで、淡々としている。
つまりクールだ。
ハマってたかもしれない。ロマンチックな女の子だったら。
淡々とし過ぎてる気もする。
原作となった本が、だけでなく、
エンド・ロールのCo-Produce(だったか?)にも、
カーティス夫人の名前が出てきて、
だから淡々の上に淡々が重なって?
生々しい交接シーン、グルーピーやドープの狂乱、
妻と愛人の泥沼な修羅場、バンド・メンバーとの諍い、
そして吊り身のブラブラ…等は、緻密に除けられ、
イアンはむしろスタイリッシュに、傷だらけの天使に映され、
それゆえ感情移入はしやすく、イコンが破壊されることもなく、
若い女の子ならなおさらだと思う。
いい悪いの評価は別にして、
まぁそういう映画ではあった。
ただ自分の横に座ってた30代女性陣は、
「出てくる女優がみんなキレイじゃなかった」と、
上映後の階段で言い合ってたけど。苦笑。
イアン・カーティスが、
若かりし頃ボウイやロキシーを聞いてたってことと、
日常的にコミュニケーションの必要な、
職安(ハロー・ワーク)の窓口に勤めてたってこと、
それと(マンチェスター)シティのサポーターだったってことは、
初めて知った。ベースはカミさんの本だから、
恐らく間違いはないのだろう。
ちょくちょく見に行く超人気サイトの、
サンパウロさんのところで、
ジョアン・ボスコのコンサートのことや、
モロッコ展のこと、
最近だとミウーシャ(シコ・ブアルキの妹で、
ヴィニシウス・ヂ・モライスにギターの教えを受け、
ジョアン・ジウベルトの2度目のカミさんだった歌手)
のコンサートのことが書かれてて、
興味が尽きなかったのだけれど、
特筆すべきはどれも「無料」だということ。
そういうのが、
“文化”ってもんじゃないかなーと。
“平和に満ちた人々”という名前のホピ族関連、といえば、
「コヤニスカッツィ」とか「ポワカッツィ」もそうだった、
そういえば。あの長い映像、両方とも見てるよ。
音楽はグラス(フィリップ)だ。というか、
家に帰ってからその名前を、やっとふと思い出した。
いや最近、記憶力関係がマジで危険水域に入ってきていて、
かなりビビリ・モードなのだった。
ウチでは「明日の記憶」恐怖症と呼ばれてるんだけど。苦笑。
で、展覧会を見てきたホピに話を戻すけど、
彼らってのはもう異様なまでに刻苦精励。働き者。
過労死するんじゃないかと思えるぐらい。
たとえばこの展覧会のカチーナ人形を制作している、
第一人者のマニュエルさんも、
10時間以上働いてると書いてあったよ、確か。
何というか生真面目。やっぱりアリゾナ砂漠地帯の、
厳しい自然の中に住む民なんだね。
とてもじゃないけど日本人なんて。苦笑。
知人が、
というか実は親戚が、笑、
ちょっとしたお店を始めていて、
そのプレゼンの会に六本木へ。
スクリーンが3つあって、
1では藤城清治を、2はアラーキー、
3ではコンテンポラリー・ダンスを上映してました。
藤城清治のとこでちょうど、
ケロヨンが大自動車レースをしてて、
ガキの頃以来、本当に久しぶりに、
ケロちゃんの「ばっははーい」を聞いた。泣いた。笑。
でも今見るとかなりフリーキーだ。クラクラくる。笑。
ちなみに、別に宣伝は頼まれちゃいないけど、
お店?はこっちっす。
少数とは思いますけど、興味のある人はどぞズブズブと。
って展ててんててん、他に行ける日がないんで、
11時ごろ見に行ったんだけど、
想像してたより面白かった。
ユビュ親父@ジャリの乗馬像やら、
避難する人たちの後ろに登ろうとする、
太陽の微妙な光の色の美しさやら。
まぁ、こんなまとめて見たってのも初めてだもんな。
まとめて見る、ってので思い出したんだけど、
師匠モロー(ギュスターヴ)との、
意外な親近性みたいなのも感じた。
いや、そんな似てるなんて思ったこともないし、
実際そんな似てるわけでもないんだけど、
親近性。
そういう師弟の関係って悪くないな。
まぁ、モローは、マルケだのマティスだのの、
お師匠さんでもあるんだけど、
で、何が「まとめて見る」だったか、てえと、
モロー美術館だよ。
オルセーあたりに1回行くんだったら、
かわりに4回ぐらい行け、ってぐらいの価値の、
ま、自分だけそう思ってる、笑、美術館で、
実際何回も行ってんだけど、
そこの初代館長が、ルオーだった、
…って年表見たら書いてあった。笑。
あと、やっぱりその年表に書いてあったんだけど、
ルオーはユイスマンスと交流があったらしい。
出たよ、ユイスマンス。笑。
「さかしま」も「彼方」もウチにあるぞ。
何か言い方ヘンだけど、
ものすげえカトリックな作家だ(という認識だ、自分は)。
その「ものすげえカトリックな」は、
世俗的でしみったれたプロテスタンティズム、
…なんて言ったら怒られちゃうけど、
その実用・資本主義連合のリンリと精神なんざより、
はるかに“ものすげえ”わけで、
(面白い、みたいに言ってたらそっちも怒られちゃうけど)、
結局はイスラムに改宗したクロソウスキー、
バルテュスの兄弟なんかとも、
かなり近い位置にいる。特にバルテュス。
で、友だち見ればお里がわかる、からして、
ルオーもその系譜だった、ってわけだ。
あんまり意識してなかった。
要は宗教画家だよ、カトリック的、あまりにカトリック的な。
孤高の。
(もう1つ。そこまで踏み込んでいくと、
もう手に負えなくなるからやめとくけど、
ルオーの父方はケルトらしいぞ。ブルターニュ経由の)
まぁコテコテの東洋人たるあたくしには、
実はよくわかっちゃいないんすけどね。
そこらへんの闇と光の深淵は。
でもタブローがコテコテのルオーは見てて面白いよ。
「アクのハナ」好きな版画も良かったし。
よいせと腰を上げて、って言い方も何だけど、
見に行ってきた、笑、2日連続の上野。
昨日は海パン買いに明け暮れたため。
その後実家にも寄らなきゃいけなかったし、で、今日。
って、何で言い訳してんのか不明だ。
まぁ実のところ「うそだよ~ん」も少なくないんだけど、
「本物」に関しては、一見も二見も価値があって、
見ごたえはやっぱ十分。
そのほか、
こんぴら狗の話にリアリティを感じたり、
芳年(!)画の奉納絵馬なんてのも展示されてて、
面白かった。
帰り、池之端でゴルフの打ちっ放しをして帰る。うそ。
文豪の街から帰った。
にもそういえば行ったことだし、
(当時の券あったんだけど、思ってた所に無くて鋭意探索中)、
こういうのはまぁ縁起もん?でもあるんで、
33年ぶり、上野の国立博物館本館特別5室へ。
といっても、絵の方は、
フィレンツェでゆっくり見りゃいいわけだから、
やっぱりハイライトのこっちを、
ガキどもにも強いて、じっくりと。笑。
確かに親の勝手な思い込み、ではあるんだけど、
33年前も、エリザベッタさんの絵(モナ・リザ)より、
並行して催されてた、
ダ・ヴィンチ展の方に衝撃を受けたからなぁ…
当時の自分と年が同じぐらいのYは、
帰りに寄ったアメ横の、
バッグの値段に衝撃を受けてたけど。苦笑。
で、展覧会は、
多くの人がいっぺんに見られるような、
展示手法の進化に感銘を受けた。
そりゃ30年経ってるし。
あと「最後の晩餐」が出てくる映画、というので、、
取り上げられてたのがブニュエルとパゾリーニ、ってのに笑った。
基本的に録画でしか見ないんだけど、
先週だか先々週だかの、
「ぶらり途中下車の旅」を見ていたら、
番組の終わりころに、
蝶や飛蝗の標本や、亀や海老の全体を、
玉葱の皮だけで作る!、って人が出てきて、
人気番組なので見た人も多いかもしれないんだけど、
“なぜ玉葱の皮?”という問いかけに、
「カレーを作ってた時に、
タマネギの皮の光沢で何か作れないだろうかと考えて…」
などと、ワケのわからないことを答えていたのが、
もうメチャクチャ良かった。
さらに最高だったのは、“旅人”の舞の海が、
「変な人って言われません?」と、
つい思ってることを口に出してしまったのに対して、
「言われませんよ」と言下に否定したところ。
おめでとうございます。
自覚がないってのは、紛う方無き本物の“変な人”です。
ちなみに「本物の変な人」というのは、
個人的には最上級の尊敬表現である。
彼の作品を知っただけでも、
この回を見た人は幸運だったと声を大にして言いたいと思う。
(しかしコピーライト・マークって、
別にあんたらのもんじゃないだろが。苦笑)
朝一番に駆けつけたり、
2時間も3時間も並んでまで、
見なきゃいけない、てぇほどのもんではないな。
そんなに見たきゃフロリダ行きゃあいいわけで。
アメリカってのが致命的な傷だけど。
ま、あったかきゃいいか?
フィラデルフィアにも寄って、か。

ところでAvida Dollars=ドル亡者だけじゃなくて、
塩=salを使った穴蔵がもう1つあったと思ったけど、
記憶違いだった?
セブンに続くメシ時話。
たまたま、なのか、
国営放送のHV特集とかいうプログラムの再放送で、
藤城清治の特集をやってたので、
秋刀魚をほじりながら見た。
藤城清治の影絵は母親が好きで、
彼女が入院した折に見舞いに本を買ってったり、
こっちもそこそこ知ってるつもりではいたのだけれど…
知ってるつもりの無知ってのは恐ろしい。
まず何より、あんなバリバリの現役だとは知らなかった。
御年82歳。
画面に思わず目が釘付けになる。
いや、20代30代の“芸術家”なんてのは、
掃いて捨てるほどいるし別に珍しくも何ともないけれど、
あの御年であのトンでもない没入ぶり
(気の遠くなるような細かい手作業を、画面で見た限り、
深夜まで(時計は1時45分を指してた)平気で続けてた)
には、心底ぶっ飛んだ。
すげえ。
いや、ホント恥ずかしながら、だけど、
あんな凄い人とは知らなかったよ。恥ずかしい。
もちろん、
あの作業の手間暇にもドギモを抜かれんだけど。
芸術家ってのは“なる”もんじゃなくて“ある”もんだから、
(才能云々という以上に、
如何に作品を作り続けているか、ということに、
芸術家か芸術家じゃないかの越えられない溝がある)
紛れもない本物を見たわけである。
持続こそが全てなのだよ。
5年とか10年とか撫でたぐらいで何かを語ろうなんて、
おとといきやがれ、って感じなのだろう。きっと。
記念館へ。
竹中英太郎は、
昭和初期、探偵・怪奇小説の分野において、
一世を風靡した挿絵画家で、
特に「新青年」好きなら知らぬ人のない鬼才。
「新青年」関連では、乱歩の「盲獣」や、
夢野久作の「猟奇歌」などが(この日は)掛かってた。
氏は戦中、筆を折り、その後、
長男・竹中労の頼みでしか作品を描かなかったのだけれど、

それら挿絵以後の展示品の中では、沖縄関係のもの、
個人的には特に林昌さん(嘉手刈)の「潮騒のリズム」だの、
若き知名定や大城美佐子、宮古の国吉源次だのの、
LPレコード(ジャケットの絵が氏)を初めて見たのも満足。
館長・金子さんの話では、
「琉球フェスティヴァルのでっかいポスターもあるのよ、
…すぐ出せなくて残念だけど」(一時出そうとしてくれた)とのこと。
館長の金子紫(ゆかり)さん(英太郎氏二女)は、
飾らない感じのとても気持ちのいい方で、
観賞後、いれていただいたコーヒーを飲みながら話を伺う。
…で、ハッと気がつくと1時間以上経っていて、
閉館時間を30分も過ぎてたよ。
館維持の御苦労とか聞いてる矢先から、すんません。苦笑。
でも面白い話ばかりで。
英太郎-労という父子関係の良さもそうなのだけど、
彼女が「労さんは…」と今でも親愛をこめて話をする、
兄妹関係の良さ、みたいなものも少なからず印象的だった。
からなのだった。
吹き溜まり自体には興味などさらさらないのだけれど、
しょうがない。高い所に登らされるんもイヤなんだけど。
と金シュミってやつですか?
でもまぁ展覧会は、お抱え学芸団の活躍もあってか、
表現主義からダダ、ロシア未来派、FIFO、バウハウス、
戦後のフルクサス、新表現主義、で現代という流れが、
珍しく網羅的に俯瞰されていて、
片や“東京”側も、「シュトゥルム画廊木版画展」や、
「MAVO」などの資料が比較的多数取り揃えられており、
期待に違わぬ面白さだった。
セクション巻頭のキルヒナーに始まり、
ココシュカ、ノルデ、クルト・シュヴィッタース、
ゲオルグ・グロスにマックス・ベックマン、
カール・シュミット=ロットルフにボイス等々、
独逸じゃお気にの作家オン・パレードだったし、
今和次郎の考現学なんかも紹介されてたりで気力充実。
日本人の咀嚼力の高さも再認識したしね。
やっぱり基本的に器用だよ。
本場の人間より確実にうまかったりするし。
詳細はこっちで。
帰りに、制服の綺麗なお姉さんに、
館の会員になるよう勧められたけれど、
「いやあ、こんなポッキリ逝きそうなとこ、
2度と来ないと思いますよ」
と正直に言ったら、バンザイ三唱してくれた。
ま、ベルリンといえば、
自分らの世代には↑これですけどね。やっぱ。
う~、きゃろらいん・せーず♪
日付がメチャクチャだけど。苦笑。
ここで全日本選手権後の銀座話。
地下鉄を降りてから、天賞堂の前の、
そこは工事しててわかりにくいんだけど、
その隣りの、エレベーターもないビルの階段を、
え?チラ、お?チラ、上っていくと、
お迎えが…
で、
ダリとキリコの間?のダリコを堪能してきたのだった。
太子もガハガハいらっしゃって(別に最終日だから、
というわけではなかったらしいんだけど)、
畏れ多くも何と言うか。
そうそう、
例の都知事選の時に、
太子を名乗るのはけしからんと、
そう言われ(てからまれ)るのはイヤなので、
立候補仲間の赤尾さんの所に出かけていき、
「“太子”を使っても構わないでしょうかねえ」相談したら、
敏先生、「しょうがないでしょう」と答えたとかいう、
目の覚めるような脱力話に酔う。
いえ、泡羽なんで、
やっぱり泡沫原理主義の先駆に対しては、
お参りをしなければというか。
何たってライカ同盟総督、
下町出(新富町)の人なわけだし。太子なのに。笑。
だし、一段落ついた、ってのもあったんで、
金子國義、なんぞを見に行く。
いや主に定期対策なんですが。苦笑。
ジュスティーヌやジュリエット、といった佐渡系や、
江戸悪だ、がどうとかこうとかの常時闘い系、
あと「薔薇の奇跡」なんてのもあったな。
高校生になったみたいだ。

実はこれも見に行こうかと。
もちろん定期対策込みなんですが。苦笑。
むかしむかしのほんの一時期、
ヴィデオ・アートに燃えてたことがあって、
彼(ナム・ジュン・パイク)などは、
すでに大家だったわけだけど、
ヴィオラ(ビル・)つまんねええ、とか、
伊藤高志すげえ、ロンゴはかっちょいいぜとか、
トニー・ヒルおもしれえよおとか、
ぐっちゃぐっちゃに頭ん中で回ってた。
ちょうど、
フェアライトのCVIが盛り上がってた頃。
プリセットが100ぐらいあって、
パッドやスライダーでパイクさせて…
だったので、これ幸いと世田谷美術館へ。
狙い通り、がら空き。

20年前ぐらいだったか、
池袋で見た回顧展の時より作品数が少ないように思えたのは、
どうしてなんだろう。
作品数はむしろ増えてたみたいなのだけど。
世田美に巡回してくる前、
彼の地元、京都でやってた時は、
堂本印象を中心とした堂本一族日本画展もやってたらしい。
それも巡回して欲しかったかと。
昔、某美大にいた娘(今は画家)と、
よく遊んでたりしてたのだけれど、
若い頃の作家の写真が、
さすがに彼女にそっくりなのだった。
何だかんだ言っても親子…
メシ時に、
たまたま付いてたTVでたまたまやってたんでたまたま見た。
こういう“外国人(特に白人)の見たニッポン”って作りが、
好きだよねぇ、相も変わらず。
いつの時代だよ、とか思うけどさ。
…って番組見てる方も見てる方だけど。笑。
刷りの工程だの絵具(色)の制作だのの部分は面白かった。
“下町”ってのは男性名詞なんすね、ふうん。
ってことで、これからカップ戦へ。
そういえば書こうと思って忘れたまま、
放っときっぱなしになってたんだけど、
この日の、
「2時間走って急いで帰宅し汗を流してから銀座へ」
の続きを、今ふと思い出して。苦笑。
銀座へは、こいつを見に行ったのだった。
最終日ぎりぎり。
いっつも、および、どんなことでも、
締め切りぎりぎりにならないと動けないというのは、
果たして大人としてどうなのかと。
とはいえ、
'93年に世田谷美術館であった「パラレル・ヴィジョン」展に、
人生それまで見てきた美術展が束になってかかっても、
かなわないと断言できるほどの衝撃を受けた身としては、
たとえ、象徴主義だの表現主義だの超現実主義だの、
そこらへんの主義はスルーできても、
この過剰なエネルギー展をスルーすることは、
どだい許されない話なのだった。

1階には大好きなクレパンやらラミレスやらダーガーやらが、
ばんばんばん、と。
ただ、一番目を引かれたのは、
炭坑夫ルサージュの細かい細かい装飾画だったけど。
あまり他人の感じがしない松本国三の大作があったし、
そういえば、ゾネンシュターンの作品なんかもあった。
(系統の絵はここで見ること可能っす。興味があればぜひ)
本だったミシェル・サヌイエのダダ史本と、
東野芳明さんのデュシャン本。

人生、道を間違える決定打になった、
2冊だったと思う。今考えると。苦笑。
多摩美で数度お会いしただけですけど、
心よりご冥福をお祈り申し上げます、というか、
あの食えないローズ・セラヴィのおっさんと、
天国で再会してることでしょう。
と、企画終了直前だった、
ウナセラ・ディ・トーキョー展覧会にも、
駆け足で行ってきたのだったそういえば。
いやウナセラ・ディ・トーキョーといっても、
宮川泰&ザ・ピーナッツじゃなくて、写真展の方。
桑原甲子雄&アラーキーのラヴ・ユー・トーキョー・コンビを始め、
下町っ子濱谷浩や師岡宏次など7人の東京写真。
いかんせん駆け足で、ってところが情けないんだけど、
まぁいろいろあって。これでも。

ウナセラディ、ってのは、黄昏ということなのだそう。
個人的に黄昏は嫌いではなく、
黄昏を志向する東京ってのも悪いもんじゃない。
ただ、想像してたより特別懐古趣味的には感じなかった。
それでも。
妙にグッと来たのが都電の写真。
年端もいかない頃、銀座でよく乗ったような気がするよ都電。
銀座から魚籃坂の方まで行けたような覚えだってあるよ都電。
でも、そんな路線あったのかよ。
何か自分で記憶作ってる怖れも。笑。
セルフ・サーヴィス・レプリカント?
で、昨日のヘラヘラ笑いまくって、
途中「しーっ」とされた展覧会の中でも、
とりわけ筆舌に尽くしがたかったものの1つが、
吉村益信の巨大な作品で(ページの中段ぐらい)、
「ベタかよぉ!」とYにも突っ込まれていたのだけれど、
今日、仕事場に行ったら、
やはり同展を見に行ってたという美大通いの女の子に、
「あの大きなカラスには何の意味があるんですか?」と、
真顔で聞かれて言葉に詰まった。
いや“何の意味”と言われましても…。
でも、そんな見方は逆に新鮮だったり。
まぁ、この煮ても焼いても食えない偏屈じじい、
じゃなくて巨匠には、
これまでも結構な時間引っ張り回されてきたんで、
個人的に特別行くつもりはなかったんだけど、
昨夜からじゃんじゃん雨が降ってる上、
試合のつぶれたYも少し興味を示したんで、
ならしょうがねえかと軽い運動、
ウォーキングってやつですか?、を兼ねて横浜へ。
そりゃ腐れ縁には違いないし、
どうせ雨じゃあすることもないし。
…ってな程度の憎まれ口くらいじゃ、
このトンデモ親父には勝てないんすけどね。
それに、“創造”だの、“芸術”だの、“外出”だの、
“交流”だの、“社会的価値”だの、もちろん“美術館”だの、
そんなことを嫌って口にするイヤミが、
またやたらと「いいこと言いやがんだよこれが」なわけで。
白南準のビデオ・アートなんかも久しぶりに見た。
伊藤高志やリプチンスキーはどうしてんだろう。
いやあ、2日経ってさすがにかなり良くなったよ、
こりゃもう大丈夫だな、完璧に
…と、自分ではとっても思いたい膝の調子だけど、
正直まだ少し痛みは残ってるわけで、
背に腹は代えられないというか、
何か比喩が合ってない気がするけれど、
とにかく大事を取って、今日都合3つほどあって、
うち2つは行くつもりだったサルに、涙を飲んで、
ってちょっとオーバーだけど、断腸の思いで、
ってもっとオーバーになっちゃったけど、断りを入れた。
関係者の皆さん、どうもすんませんでした。
じじいなんてこんなもんなんすよ、
本人も理由がわからずリタイア。
まぁ早く治すには休むしかないと、そんな感じ。嗚呼。
で、その代わりに、
今日は何をしたかというと、
仕事
…というか、膝の痛みなんてのは実は二の矢三の矢で、
ってまた言い方全然間違ってるけど、そもそもからして、
サルに出させてもらってるヒマなんて本当はなくて、
仕事をしなければ間に合わないのだったのであったのだった。
まぁ途中、気分替えに、
ここにも行ったことは行ったけど。6時間ほど。気がつきゃ。
↓

まぁ6時間についてはもうつべこべ言っても仕方ないんで、
仕事は徹夜すればいいだけなのだったのであったのだった。
昔、兄貴であるピエールの、
エロ小説のことをずっと勉強してた関係で、
弟バルテュスの、絵との付き合いも、
京都でやった回顧展にメガネを忘れて行ったり、
もうずいぶん長くなるんだけど、
そのバルテュスこと、
故バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ伯と、
節子夫人の一粒種が、
2年前、表参道にジュエリーの店を出し、
さらにこの秋、新宿と六本木にも出店した話が、
新聞に載っていた。
そうか。
彼女はジュエリー・デザイナーになったんだな。
ついでにTVと言えばもう1つ。
朝、新聞の番組欄を見た時に、
「タイトルが途轍もなくウンコだし、
どうせNHKでしかないからなあ…とは思うものの、
いちおうどんなのかは見ておこうか」と思いながら、
結局そのまま、丸っきり忘れ去っていたのだけれど、
メシ時に食卓に行ったら、たまたまそれが点いてて、
「ああ、これこれ」と思い出したという、
この番組を先週の金曜に観た。
10~20代の頃、そのへそ曲がり親父(と、
もう一人の快楽親父(ピカビア))に長いこと、
興奮させられ続けた者にとっては、予想通りというか、
とりたてて目新しい話はなかったのだけれど、
へそ曲がり親父のコレクションをするにあたって、
実はいくつかの美術館が競合していて、
新興で売りのないフィラデルフィア美術館は、
他の有力美術館より長い展示期間を提示することで